高橋 智彦(ニッセイ基礎研究所)(*)(**)
改正日本銀行法(以下―日銀)は97年6月11日に参議院本会議で成立し、98年4月1日より施行されている。旧日銀法は42年に制定された戦時色の強いものであったが、独立性、透明性を軸に半世紀ぶりに全面改正された。以下、改正の経緯、ポイント、背景を踏まえ改正法の意義、課題について述べる。改正にあたって重要な視点である独立性の問題は極めて公共選択的問題である。ここでは中央銀行独立性指数を用いた試算結果なども用い今回の改正を評価したい。
今回の法改正は国内的には金融改革論議の一環として、国際的には欧州を中心とした中央銀行改革の動きを背景に浮上したものである。
日銀法改正の動き自体は戦後、何回か生じており、その際の論点は本来の独立性問題を中心としたものであったが、今回の法改正は金融改革の動き、具体的には旧法の問題点とされてきた金融システムの日銀の関与の根拠の曖昧さに端を発していることに特徴がある。
旧法ではその第1条「日本銀行ハ国会経済総力ノ適切ナル発揮ヲ図ル為・・」に象徴されるように戦時統制色の強いものである。旧法の目的規定、主務大臣の一般監督権、政府への信用供与の規定の曖昧さ等の条文に成立時の時代背景の影響があったと指摘されていた。このため戦後の49年には民主的な意思決定機関としての政策委員会の設置が盛り込まれるなど、著しく制約された独立性を巡り改正の動きがあった。その後57年、64年に改正の議論が活発化したが、最終的には改正に至らなかった。
改正の動きは長く中断したが、金融改革の一環として、また中央銀行改革の世界的潮流もあり、96年より改正の動きが進んだ。議論の場は与党のプロジェクトから首相の諮問機関である中央銀行研究会、蔵相の諮問機関である金融制度調査会へと移り、旧法の問題点が審議された。審議過程は必ずしも全てオープンであったわけではないが、具体的には@目的規定、A独立性関係、B透明性、Cプルーデンス政策への関与のあり方、D政府への信用供与規定、等々について論議された中で法改正の方向性が定まったと見られている。金制調の答申提出を経て97年3月に日本銀行法案が国会に提出され、同年6月の成立をもって半世紀ぶりの全面改正に至っている(図表―1)。
図表-1 日銀法改正の経過
年月(西暦) | 内容 |
42年 2月 | 日本銀行法公布 |
46年 1月 | 金融制度調査会日本銀行制度改正要綱提出 |
49年 6月 | 政策委員会設置 |
57年 8月 | 金融制度調査会で日銀法改正作業開始 |
60年 9月 | 金融制度調査会で政府、日銀双方の主張の2案の答申提出→法改正見送り |
64年 3月 | 参議院で日銀法改正問題再燃 |
65年 3月 | 日銀法改正原案国会提出見送り |
96年 3月 | 連立与党大蔵省改革プロジェクトで日銀法改正の動きが出る |
96年 7月 | 中央銀行研究会初会合 |
96年 11月 | 中央銀行研究会答申提出 |
96年 11月 | 金融制度調査会日銀法改正小委員会初会合 |
97年 2月 | 金融制度調査会答申提出 |
97年 3月 | 政府が国会に日本銀行法案提出 |
97年 6月 | 日本銀行法案成立 |
改正にあたっては学界関係者、金融政策当局者OBなどを巻き込み活発な議論が展開された。目的規定では通貨価値の安定と信用秩序の維持の2つの目的が入ることによる利益相反、通貨価値の安定は国内物価に加え、対外的な通貨価値である為替の安定を含むべきか、国内物価は一般物価を指すのかなどの概念調整が必要だった。また物価さえ安定すればいいのかという点も議論された。
独立性を巡る議論では中央銀行研究会の段階で人事権等を通じた政府のコントロールが留保されていれば日銀に内閣から独立した行政的色彩を有する機能を付与したとしても憲法65条に違反しないとされたが、監督官庁の一般的監督権限や解任権、予算認可権などが焦点となった。また、政策委員会のあり方と関係して政府代表の政策委員会参加の是非、議決延期請求権を保有させるかが論点となった。意思決定機関である政策委員会は先の政府委員のあり方の他に理事の役員集会との役割調整、委員の選定、透明性との関係で議事録の公開方法、国会への報告のあり方などが問題となった。
プルーデンス政策に関連しては目的規定に信用秩序維持を入れることによる日銀がプルーデンス政策に関与する是非、事前的措置である日銀考査、事後的措置である日銀特融への法的根拠が論点となった。考査においては大蔵省の考査との調整、行政指導のような権限の有無、特融においては実施基準、預金保険機構との役割分担、回収できない時の日銀資産の悪化防止措置などが問題となった。
外為介入にあたっては日銀と政府の間の権限の所在が注視されたが、中央銀行研究会の段階で政府が一元的に責任を持つべきとされた。
政府短期証券(FB)の日銀引受に関しては再検討を求める声があった。
(改正のポイント)
上記のような経緯を踏まえ、日銀法は改正された。今回の改正は多岐にわたるが、大別すれば、日本銀行の目的、独立性、透明性・説明責任、プルーデンス政策、金融調節等にかかる部分である。主な点は以下の通り。
@政策目的
・日本銀行の目的を物価の安定を理念とする通貨、金融調節と信用秩序の維持と明記
A独立性
・主務大臣の一般的業務への命令権を廃止
・政策上の意見相違を理由とする役員の解任の禁止
・政策委員会を改革し、業界代表方式を廃止、総裁1名、副総裁2名、審議委員6名の計9名とした。なお、政府 委員は2名とし、政策委員会での議決権はもたないが、議案提出権、議決延期請 求権を持つ。予算につい
ては大蔵大臣の認可を要する点で旧法と同じ。
B透明性・説明責任
・政策委員会の議事要旨、議事録を作成し、公開する。また、半年に一度、政策委員会の議決、業務状況につ
いて国会に報告書を提出
Cプルーデンス政策
・日銀考査の規定を明確化
・信用制度の保持育成業務の一環として行われていた日銀特融を具体的に規定
D金融調節等
・コールレートの低め誘導、準義率変更が政策委員会の決定事項に
日銀法改正の第二の背景は欧州の中央銀行独立性強化の動きである。日銀法案の国会審議と同時期に英国では18年振りに労働党政権が誕生した。その直後の97年5月6日にブラウン新蔵相からイングランド銀行のジョージ総裁への書簡の形で新しい金融政策の枠組みが示され、政策金利決定権をイングランド銀行に移管した。
これにより同行の政策委員会(MPC)は重みを増し、会合はあらゆる投票も含め記録され6週間後までに発表されるために、それぞれの委員の発言が従来以上に注視されるようになった。98年6月の新方式の政策委員会開催依頼マーケットは議事録から各委員の傾向を知り、各委員の発言の推移から期待を形成していくようになった(図表―2)。
図表―2 英国のMPC結果
97 | 98 | ||||||||
委員・日付 | 8・7 | 9・11 | 10.9 | 11.6 | 12.4 | 1.8 | 2.5 | 3.5 | 4.8 |
George | 利上げ | 利上げ | |||||||
Clementi | |||||||||
King | 利上げ | 利上げ | 利上げ | 利上げ | 利上げ | ||||
Plenderleith | 利上げ | 利上げ | |||||||
Goodhart | 利上げ | 利上げ | 利上げ | 利上げ | 利上げ | ||||
Buiter | 利上げ | 利上げ | 利上げ | 利上げ | 利上げ | 利上げ | |||
Budd | 利上げ | 利上げ | 利上げ | 利上げ | |||||
Julius | 利上げ | ||||||||
結 果 | 利上げ | 据置き | 据置き | 利上げ | 据置き | 据置き | 据置き | 据置き | 据置き |
利上げ | 5 | 0 | 0 | 6 | 0 | 3 | 4 | 4 | 3 |
据置き | 3 | 8 | 8 | 2 | 8 | 5 | 4 | 4 | 5 |
なお、その後ブレア政権は金利政策を与えたのとは逆にプルーデンス政策をイングランド銀行から移管する旨を表明した。金融政策の目的は物価安定とされ信用秩序政策との利益相反は中央銀行の政策上起きにくくなりつつある。
英国の中央銀行改革の背景に経済通貨統合(EMU)と欧州中央銀行(ECB)の設立がある。(図表―3)
図表−3 中央銀行の概要比較
項目 | 欧州中央銀行 | イギリス(改革案) | 日本(旧法) | 日本(改正法) |
根拠法 | 1991年マーストリヒト条約 欧州中央銀行法 | 1997年5月 蔵相声明 |
1947年 日本銀行法 |
1997年 日本銀行法案 |
目的 | 物価安定の維持を第一義的な目的とし、この目的を妨げない限りにおいてEUの一般的経済政策を支援する | 物価安定は高い成長と雇用の前提である。政府目標として定義される物価安定を金融政策の目的とする。政府の雇用と成長を含む経済政策をサポートする | 国家経済総力の適切なる発揮、通貨の調節、金融の調整、信用制度の保持育成 | 通貨、金融の調節(物価安定を理念)、資金決済の円滑の確保、信用秩序の維持 |
独立性 | EU諸機関や各国政府から指示をうけない | 総裁、副総裁は国王による任命。 非政策要因による解任はあり |
首相の総裁、副総裁解任権、蔵相の理事解任権。蔵相の業務命令権 | 総裁、副総裁を国会同意を得て内閣が任命、総裁は破産、病気等以外解任されない |
最高意思決定機関 | ・総裁1名、副総裁1名、 理事4名 政府代表 の動議提出権は認める・公開規定なし | ・総裁1名、副総裁2名、理事 6名 ・会合内容は投票結果も含 め6週間後までに発表する |
・総裁、大蔵、企画庁 代表、大手銀行、地銀 、農業、商工業代表各1名 ・政府代表委員に議決権なし。 ・公開規定なし |
総裁1名、副総裁2名、審議委員6名、政府委員出席可、議決延期請求権あり。委員会が適当と認める相当期間後に公表 |
経済通貨統合は99年1月に単一通貨ユーロを導入し、中央銀行制度を統合するものである。新設される欧州中央銀行は物価安定を最終目的に一元的な金融政策を実行し、各国の現在の中央銀行は金融政策の遂行機関になる。物価の安定を達成する方法はマネタリー・ターゲッティング、インフレ・ターゲッティングのどちらになるかは、今後の域内通貨需要関数の安定性なども絡み未定である。この際、各中央銀行は組織、人事、財務等の独立性に関し一定の要件を満たす必要がある。90年代に入りフランスなどがこうした流れに合うように中央銀行法を改正した。フランスは1800年制定のフランス銀行法を1993年に全面改正し、目的規定で物価の安定を明確化し、金融政策理事会での政府委員の議決権がない旨を明示した。欧州通貨統合に当初から参加しない国でも、先の英国に加え、スウェーデンも中央銀行の独立性を強化した。その内容は欧州中央銀行の前身の欧州通貨機構(EMI)が欧州中央銀行制度の構成機関になるために必要とした法整備と整合的であり、両国とも欧州中央銀行制度を意識の上で改革を行った。
欧州連合首脳は98年5月2日からブリュッセルに集まり、ドイセンベルク初代ECB総裁他、専任理事など人事を決定した。既に欧州中央銀行制度は機能し始めているが、人事に政治が介入する兆候があり、マーストリヒト条約など法制上与えられた通りの独立性維持が不安視されている。
こうした制度改革が日本を含め世界的に中央銀行の独立性強化の動きの契機となった。
中央銀行改革は欧州以外にもカナダ、日本、韓国など世界的に行われている。主要国に共通した改革の背景は以下の諸点であろう。
第一点は、プラザ合意以降のよりオープンに行われるようになった政策協調の経験である。85年9月のプラザ合意以降のG7を中心とする先進国の政策協調路線において通貨政策面での協調が国内状況に優先した面があったことへの反省である。
国際政策協調の観点からドイツ連銀がブラック・マンデー後の87年12月に意に反する利下げを行ったと見られること、その独連銀が88年7月に利上げした後も日銀が為替レートにも配慮したことから、当時の史上最低水準にあった公定歩合の利上げが89年5月にまで遅れ、バブル経済につながったとも見られること、などが記憶に新しい。
G7の共同声明等はしばしば、中央銀行の専管事項である金融政策、中央銀行ないしは政府が管轄するプルーデンス政策及び通貨政策の方向性に関わることにも言及している。G7には各国とも蔵相と並び中央銀行総裁も出席しているが、金融政策の正式の決定の場である各国中央銀行政策委員会(あるいは理事会)を経ずに金融政策、通貨政策に関わることに言及されることは、中央銀行の権威にとりプラスとはならなかった。
第二点は国際標準化の流れである。国際間取引が増加し、各国金融市場の相互緊密化が進む中での中央銀行の国際標準化の観点がある。国際間金利裁定が進み、他国の金利も影響し易くなった。また技術革新が進み、デリバティブのような金融技術を駆使した取引が瞬時に国際間で行われるために独自の規制などで制限していると他国の市場に金融取引が移ってしまい、自国の金融市場規模を十分に保てなくなる。そこで従来規制の多かった国は金融市場の自由化を進め、国際標準化を推進せざるを得なくなった。規制を緩和すれば、資金の流出入も激しくなり、その制御を行う中央銀行も強化、国際標準化の必要が生じた。
第三点はマネー・サプライの位置づけの変化である。そして最も重要な背景がこの点であろう。70年代の二度の石油危機の経験は、期待インフレ率が変化する中での名目金利の指標性を薄れさせた。また実質金利も期待インフレ率の計測が難しい中(高橋(1993))で金融政策の中間指標として用いるのは困難であり、金融政策の中間目標的存在としてのマネー・サプライの重要性が認識された。
マネーサプライに関する認識の変遷を日本を中心に見ると、日銀は78年7月以降四半期毎のマネー・サプライの見通しを発表するようになり、今日に至っている(図表―4)。
図表―4 M2+CD予測値と実績
かつての情勢判断資料、現在では金融経済月報で発表されるこの見通しは一時期目標値的な意味合いを持ったと見られている。堀内(1980)はマネー・サプライと他の国民所得決定の内生変数的マクロ指標の相互関係から同指数に目標値を定めることに疑念を示すとともにハイ・パワード・マネーのマネー・サプライ決定における重要性に言及し、貨幣乗数の不安定性は準備率変更という政策的要因を除いては現金―預金比率の循環的な性格に帰している。マネー・サプライを巡る論争に判断を加えることは本稿の主旨ではないが、この時期の日銀は物価安定などの最終目標を達成するための中間目標としてマネーサプライを想定、操作目標を操作することにより中間目標のマネーサプライを制御する二段階アプローチが取られていたと見られる(鈴木(1983)、大久保(1983))。そして、ハイ・パワード・マネーなど量的金融指標を中央銀行が制御した場合、民間金融機関が相当の準備を保有しなければならないことやプルーデンス政策との関連性、貨幣乗数の不安定性などに問題があり、操作変数としてインターバンク金利を想定している。 その後、80年代後半に先進各国が資産イ
ンフレや経済の国際化、金融自由化の進展から貨幣需要関数が不安定化したこと、また、先に述べたような政策協調もあり、中央銀行の政策運営におけるマネー・サプライの占める位置づけも低下した。日銀も日本銀行(1992)で実体経済とM2+CDの関係の不安定化を認め、量的指標による制御を改めて否定したうえで、金利を通じたM2+CDの制御性も落ち、むしろ金利の金融政策への最終目標への直接的影響が強まったとした。
この時期にはM2+CDの前年比がマイナスとなったこともあり、岩田(1993)、翁(1993)に代表される論争が起きたことは周知のところである。90年代初頭の論争も貨幣乗数論的アプローチと金融調節上の整合性、日本銀行のハイ・パワード・マネーの制御可能性という点で80年代前半の論点と本質的な相違はないが、後者の焦点が中央銀行の政策運営上の中間目標としてのマネーサプライの妥当性、その操作変数の選択であったのに対して、前者はバブル期の過剰流動性と91年の郵貯シフトによる財政の揚げ超と平成不況入り後のマネーサプライの伸びの鈍化を踏まえての政策責任論と絡んでのマネー・サプライの制御可能性に焦点が当たった。また、新金融調節以降の動きも踏まえて準備預金の金利弾力性や「積みの進捗率」など技術的側面にも光が当たり、超過準備を認めるべきかなど準備制度のあり方や郵貯シフトで財政が揚げ超になった後の資金運用部の国債購入の影響等、より詳細な面にまで踏み込んだのも90年代初頭の論争の特徴であった。
その後もマネーサプライと経済の関係を説明する試みは石田・白川(1996)等、誤差修正モデル(ECM)やStructual VARなど発展型も含む多変量自己回帰(VAR)モデルなどを用いた意欲的研究が出ているが、用いるデータの定常性の検定の問題(例―国友(1996))や適用の仕方の問題(例―
H.Y.Toda・T.Yamamoto(1995))もあり、因果関係などで恣意性を極力排した各方面にとり納得的な実証結果を得るのは容易ではない。
このように日本ではM2+CDに代表されるマネー・サプライの指標性は弱まってきているという認識が支配的である。そして世界的にもドイツなどを除いては同様な傾向となっている。「k%ルール」のようなマネー・サプライの厳格な管理は政治的介入を排して各国の中央銀行の独立性を保つための有力な手段であった。こうした有力な手段を失った各国中央銀行は中央銀行法を改正し、インフレ・ターゲッティングなどより透明性のある政策手段を求めるようになった。
以上、国際政策協調、国際標準化の流れ、マネー・サプライの位置付けの変化―の3点が中央銀行独立性強化の主要な背景である。
日銀法改正の経緯、欧州の中央銀行改革の動き、中央銀行独立性強化の背景などを踏まえ、今回の法改正の意義は次の通り。
最も重要な点は独立性の強化である。
公共選択の立場からの文献(J.M.Buchanan,C.K.Rowley,R.D.Tollison(1987))では中央銀行の予算や政策の政府からの独立性が高い国がインフレ率が低く、財政赤字が少ないという実証結果がある 。
病気等の理由以外で総裁を解任出来なくなり、総裁の地位が強化された。また主務大臣による一般監督権もなくなり、旧法に比して組織としても独立性が向上していることが、定性的にも容易に窺 われる。
政策決定上も政府やレント・シーカーからの独立性が政策委員会の強化で実現された。政策委員会は旧法では総裁、政府委員2名、業界代表4名の7名で構成されていたが、決定は役員集会でなされていた面もあり、"スリーピング・ボード"と揶揄されていた。金融緩和局面で利益が出易い金融機関代表の2名と商工業代表1名は緩和局面で沈黙することでレンド・シーキング活動をしていたとも見れる。改正法では、総裁、副総裁2名、審議委員6名の9名体制となり、従来の業界代表方式が廃止されてレント・シーキング活動が法制上行いにくくなった。政府委員には議案提出権と議決延期請求権はあるが、議決権はない。
中央銀行の独立性を定量的にみることは難しいが、手段としては中央銀行独立性指数というものがある。中央銀行独立性指数とは各国の中央銀行の独立性を総裁の地位の強固さなど様々な項目で採点し定量化した指数である。80年代後半以降、米国を中心に指数化が行われた。各種の指数は藤木(1997)、同(1998)により詳細に紹介されている。
代表的な中央銀行独立性指数としてはCukierman他の開発した法律ベースの指数(A.Cukierman,S.
B.Webb, and B.Neyapti(1992))がある。同指数は物価偏重に過ぎるという批判もあるが、物価安定、政府への信用供与などについて細かく採点項目を示している。
同指数によれば1980-89の80年代において各国の中央銀行の独立性は「1.00満点」でカナダ〜「0.45」、フランス〜「0.24」、ドイツ〜「0.69」、イタリア〜「0.25」、英国〜「0.27」、米国〜「0.48」となっており、日本はG7諸国最低の「0.18」とされていた。
この採点後、各国は米国を除き中央銀行法を改正し、それぞれ独立性を向上させた。筆者が同指数はその採点項目に従い新日銀法について独自に採点してみると日銀の独立性はかなり向上している。採点者の恣意性は強く残るが中央銀行独立性指数は「0.18」から「0.37」に0.19上昇する(図表―5)。
図表−5 日本銀行の中央銀行独立性指数得点表
大項目 | 小項目 | 旧日銀法 | 新日銀法 |
(1)最高責任者 | |||
@*0.25+A*0.25+B*0.25+C*0.25 | 0.52 | 0.65 | |
@総裁の任期 | 0.5 | 0.5 | |
A誰が任命するか | 0.25 | 0.25 | |
B解雇 | 0.83 | 0.83 | |
C政府内での兼務 | 0.5 | 1 | |
(2)政策決定 | |||
@*0.25+A*0.5+B*0.25 | 0.17 | 0.27 | |
@金融政策の立案者 | 0.67 | 0.67 | |
A対立時の最終決定者 | 0 | 0.2 | |
B政府予算への発言権 | 0 | 0 | |
(3)政策目標 | 政策目標 | 0 | 0.6 |
(4)政府への無担保貸出 | 政府への無担保貸出 | 0 | 0.33 |
(5) 政府への有担保貸出 | 政府への有担保貸出 | 0 | 0 |
(6)貸出条件決定 | 貸出条件決定 | 0.33 | 0.33 |
(7)潜在的借り手 | 潜在的借り手 | ||
(8)信用供与制限 | 信用供与制限 | ||
(9)信用期限 | 信用期限 | 0 | 0 |
(10)金利規制 | 金利規制 | 0.25 | 0.25 |
(11)国債Primary Marketへの参入 | 国債Primary Marketへの参入 | 0 | 0 |
総計 | 0.18 | 0.37 |
独立性を定量化した後にマクロ指標との関係を実証する試みは先のA.Cukierman,S.
B.Webb,and B.Neyapti(19
92)の他各種行われている。また地主(1997)は各国の政策反応関数を推計し、政策ウエイトを加味したした上で中央銀行独立性指数との関係を示している。
ここで独自に中央銀行独立性指数とインフレ率(CPI)についてOECD加盟国の内16カ国(オーストラリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、フランス、ドイツ、イタリア、日本、オランダ、ノルウェー、ニュージーランド、スペイン、スウェーデン、スイス、英国、米国)の3局面(1960-71,1972-79,1980-89)のパネル・データで推計すると中央銀行独立性指数が高い方が物価上昇率が有意に低いという結果になった(図表―6)。
図表6―実証結果
@物価と中央銀行独立性指数
CPI上昇率=a*中央銀行独立性指数+c
推計法 | a | c | 決定係数 | 標準誤差 |
Between推計 | -8.395 | 9.716 | 0.401 | 1.713 |
(t値) | (-3.066) | -9.406 | ||
変量効果推計 | -9.576 | 10.122 | 0.108 | 3.941 |
(t値) | (-2.624) | -7.3 |
A長期金利と中央銀行独立性指数
各国の代表的長期金利(10年国債等)=b*中央銀行独立性指数+c
推計法 | b | c | 決定係数 | 標準誤差 |
Between推計 | -6.79 | 11.037 | 0.43 | 1.452 |
(t値) | (-2.301) | -8.986 | ||
変量効果推計 | -8.42 | 11.661 | 0.134 | 3.155 |
(t値) | (-2.255) | -7.443 |
(資料)OECD"MAIN INDICATORS "
さらに、長期金利と中央銀行の独立性の関係を定量的に推計した。英国の労働党が総選挙に勝利した後の蔵相声明でも中央銀行改革の理由のところで競争国よりも高い長期金利を中央銀行の独立性、信頼性と関連付けている。一般に独立性のない中央銀行では先に見たようにインフレ的になりやすい他に、国債の安易な引受などが行われ需給面からも長期国債市場が崩れやすい。
データ制約から先述のOECD加盟中16カ国のうち9カ国(ベルギー、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、ニュージーランド、スイス、英国、米国)の3局面(1960-71,1972-79,1980-89)のパネル・データで推計をすると、これも自由度不足ではあるが中央銀行の独立性が高い国の方が有意に代表的な長期金利が低いという計測結果となった。
それぞれのパネル・データの推計は頑健性を見るために複数の方法で行った。各々の国の期間の平均値でクロス・セクションの分析をするビトウィーン法及びハウスマン検定の結果、定数項が確率変数となる変量効果推計で行ったが、中央銀行独立性指数はインフレ率、長期金利に対して有意に負となった。
このように独立性が増加し、物価抑制的、長期金利抑制的になったということが、今回の日銀法改正の最大の意義である。
日銀法改正の第二の意義は前者とも絡むが目的規定の明確化である。旧日銀法は戦時立法的色彩を持った法律であり、その目的も「国家経済ノ総力ノ発揮」というものであった。その点、改正法では通貨及び金融調節の理念として「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする」と物価安定への日銀の責任が明確になっている。世界的趨勢としてもインフレ・ターゲッティングなど中央銀行の物価安定への責任をより明確にする傾向にある。日銀法改正の中では資産価格が高騰したバブル期の反省から、一般物価安定のみを偏重しない旨、金制調の答申理由書にも記されている。なお、「物価の安定」ではなく、「通貨価値の安定」とすることに関しては為替レートという対外価値が入ることになり、状況によっては物価安定と相反することも考えられるために採用されなかった。
第三に透明性の確保がある。アカウンタビリティ(説明責任)に関する規定は旧法には規定がなかった。透明性と独立性の関係は一様ではない。一般に独立性が高い代表とされるドイツ連銀などは必ずしも透明性が高くない上、その影響が強い欧州中央銀行も当面、透明性は高くないと見られている。改正日銀法では半年に一度の国会報告、政策委員会の議事要旨の公開、一定期間後の議事録の公開―など透明性が確保された。金制調の理由書では金融政策の独立性強化に国民の指示を得るため、またグローバル・マーケットの信頼性を得るために透明性を確保するとしている。独立性を確立したドイツ連銀などとは異なり、独立性を強化しつつある日銀にとり透明性の確保は重要である。仮に金融政策決定会合において政府委員と各委員に意見対立があっても、そのことは議事要旨、議事録の公開によって後に明らかになる。このことは政府からの圧力への歯止めとなろう。
第四の意義に市場対応力の強化がある。政策委員会の権限の中に「手形又は債券の売買その他の方法による金融市場調節」といった項目が加わり、コールレートの低め誘導なども政策委員会の決定事項となった。また、新法では準備率の変更も政策委員会決定事項となった。通常業務面では「金銭を担保する国債その他の債券の貸借」が加わり、最近、拡大著しい債券レポ市場における日銀のオペレーションの根拠が法的に規定された。これらは日銀の金融市場対応力を強化するものである。
第五の意義はプルーデンス政策への関与の明確化である。改正法第1条では「資金決済の円滑の確保を図り、もって信用秩序の維持に資することを目的とする」と旧法第1条「信用制度ノ保持育成二任ズルヲ以ッテ目的トス」に引き続き信用秩序の維持に責任を持つことが明確になった。
その際に旧法25条の「信用秩序ノ保持育成」の名目のもとに包括的に行われており、必ずしも明確な規定がなかった日銀考査や日銀特融について具体的規定が記され、プルーデンス政策への日銀の関与の根拠が従来よりは明らかになった。
今回の日銀法改正は以上に見てきたように意義あるものであり、独立性も確実に向上している。しかし、98年4月から施行された新日銀法は十分な評価を得たとは言い難い。それは以下のような残された課題に由来するように思われる。
第一の課題に独立性の不完全性が残存しているということがある。中央銀行の独立性をみる上で、政府に対する信用供与は重要な項目である。今回改正で独立性は全般的には大幅に向上したが、FB(政府短期証券)の引受が認められたことで現行法の問題点である政府に対する信用供与規定の曖昧さが残ったことになった。政府側の節度が求められよう。これは、後述の短期金融市場の発展の阻害とも絡み問題である。
また、政府代表委員に議決権はないが、議決延期請求権が認められた。議決延期請求権は類似規定が中央銀行法にあったドイツ連銀でも欧州通貨機構による「中央銀行の独立性を阻害するため廃止すべき」との勧告を受けた。改正法はこの点世界の流れに逆行し、グローバル・スタンダードからも問題である。
日銀の予算面も金融調節に支障を生じさせない範囲との限定はあるが、経費などの政府認可が必要という点も独立性上、問題は残ろう。
第二に透明性の不完全性がある。中央銀行研究会(1996)では我が国の金融政策がグローバル・マーケットの信任を得るために透明性が必要としている。改正日銀法を待たずに日銀は金融政策決定会合の要旨を公開しているが、議事録全体の発表は遅く、介入などに関しての記述は削除される。一般に透明性を低くしてプラスとなるのは、個々の委員への世論や政治の圧力をかわすか、隠れた政策意図(例えばインフレ回避を目標としつつも一時的に成長重視)を達成するためであるが、日銀の場合前者を強く意識する余り、本来の市場の期待形成への影響を軽視していると見られる。そのため市場で憶測を呼びやすく、審議委員の発言などの皮相的見解が流布される状況にある。
また、定例の金融政策決定会合議決対象外の金融調節の変化やプルーデンス政策関連等のことについても考え方の整理等を総裁会見等で示すことが望まれる。過去に一般物価安定の中で資産価格高騰があった経験からインフレ・ターゲッティングがとりにくく、貨幣需要関数の不安定化からマネタリー・ターゲッティングもとりにくい中、定量化された政策目標を示すことは難しい。総裁会見、議事要旨等で政策意図を伝えることが重要となる。また公式見解を示す網羅的な「金融経済月報」については金融政策決定会合の前にも、
GDPの特定のコンポ項目、金融市場の状況―などの個別事項についても随時公式見解を示すことが望ましい。現在月報の多くの論文が個人的見解とされているが、市場が知りたいのは公式見解である。
第三に目的規定の不徹底がある。物価安定という第一義的目的の達成としたことにおいては日銀は評価されるべきである。しかし、日銀への批判としては金利低下の財産所得への影響を通じて民間消費や所得分配に悪影響を与えたとされ、また物価安定と反対にデフレ阻止をしなかったというものもある。こうした批判に対して物価下落が需要減退から起きた点で、現時点で金融政策としては需要拡大策に出来ることは限られていることや所得分配への政策割当てとしては社会政策が望ましいことなど、目的規定に照らしての自らの役割の位置付けは主張すべきであろう。
第四はプルーデンス政策と金融政策の背反可能性への不信感が残存していることである。改正法ではプルーデンス政策への関与が明確化された。日銀考査の法定化で銀行監督者としての日銀の責任が明確となった点は評価できるが、同時に派生的機能であるプルーデンス政策の遂行状況から、本来の機能である金融政策全般への信頼性を損なう危険を内包することとなった。また、金融機関の経営状況を知り、責任をもつことが、金融引き締め政策を取りにくくする懸念もあろう。
日銀貸出はその補助金的性格が指摘されてきたが(例―岩田・浜田(1980))、長期間にわたり金融調節の中核的存在であった。95年7月7日の短期金利の低め誘導決定以来は短期市場金利が日銀貸出の金利である公定歩合を平均的に下回るようになったために、通常の日銀貸出は市場で資金が取れない金融機関を中心に行われるようになり、最近では金融調節は基本的に公開市場操作によって行われている。また、95年秋からは夏場の信用組合や第二地銀の経営破綻から日銀特融が復活し、これが日銀貸出の中心となった。新日銀法が施行される以前の97年11月には大手証券会社、準大手証券会社、都銀の経営破綻が続出し、つなぎ資金の名目で、政府保証なども決定されぬままに3.8兆円もの日銀特融が行われた。最終的に金融システム安定化策で政府保証がつくことになったが、預金保険機構との政策分担などの整理をより進めるべきであろう。
日銀特融は改正法では「最後の貸し手」としての機能を明確にする形で、具体的に規定された。短期には回収しきれない債権をどうするか、日銀自体の財務内容を悪化させずにどのように行うかなど問題は多い。
デフレ・ギャップ存在下の経済では過剰流動性からのインフレ発生は考えにくく、金融政策とプルーデンス政策の背反は「最後の貸し手機能」の論議の中でやや強調され過ぎているものの、無制限の特融等は、貨幣の膨張と日銀の財務内容の悪化を通じた信頼性低下で、目的の理念である物価安定との関係に矛盾を生じさせる可能性は否定しきれない。
またプルーデンス政策関連事項で日銀への信用を下げたものとしては「貸し渋り」対応がある。これは超低金利下で日銀が出来ることは準備率操作など限定的で政策割り当ては本来は日銀にはない。また、従来、金融機関の負債である預金の集計値としてのマネー・サプライを信用面の集計値としての意味付けよりも重視していた日銀としては、貸出量が経済に与える影響を重視することはマネー・パラダイムからクレジット・パラダイムへのパラダイム・チェンジとなる。こうした転換がはかりにくい中で、「貸し渋り」問題が経済運営の主要論点となった。日銀はこうした問題に例えば自己資本比率が問題となるキャピタル・クランチなのか、それともより広範なクレジット・クランチなのか、そもそも「貸し渋り」は存在し、それは経済に悪影響を与えたかなどといった一般的疑問に十分に見解を示さず、プルーデンス政策の一翼を担う機関として不信感を招いた。
第五に通貨政策との二元性の問題がある。新日銀法と同時に施行された新外為法下では内外の資金の流出入の活発化による為替レートへの影響が予想されている。しかし、対外的な通貨価値は物価安定との相反可能性から目的規定から外され、国際金融システムとの関係、介入の日銀資産の健全性への影響への考慮などから外為介入については政府に一元化することになった。しかし、このことによる金融政策と通貨政策との二元性が問題となろう。例えば、新日銀法が施行された98年4月には円安緩和介入により外為特別会計は2兆円以上の揚げ超となった(図表―7)。
図表―7 外国為替特別会計と為替介入
介入は全て不胎化され、資金需給における事後的な恒等式では財政と準備預金に見合う金融調節が行われているとはいえ、90年代初頭に郵貯シフトなどによる財政の揚げ超を巡る論争に見られるような論争を招かないとも限らない。また財政政策と金融政策、通貨政策の整合性、維持可能性などを重視するマサチューセッツ・アヴェニュー・モデルのような観点では金融政策と通貨政策が一元管理されていないのは政策運営上好ましくないことにもなる(林(1998))。
第六に短期金融市場の整備への関与のあり方がある。金融制度改革の果実として期待されている円の国際化のためには使い勝手の良い債券市場、株式市場、短期金融市場といったインフラが不可欠である。そして先述のように東京市場は地盤沈下を起こしている。また、逆に円が国際化した時に、海外の円が国内に環流してきた時に、中央銀行がオペレーションで過剰流動性を吸い上げる場としての短期金融市場には不備が目立つ。そうした場合の中央銀行の公開市場操作の中核的な場としてはコール、手形市場のような銀行間市場は不適当であり、CD、CP(商業手形)市場も商品の単一性や信用リスクの面で問題を残している。
97年11月には大手証券会社や都銀の経営破綻が相次ぎ、市場が信用リスクに過敏になる中で、レートが上昇し、個別銘柄間格差も拡大した。流通にも支障をきたし、日銀がCPオペを行うなど、信用リスクの問題が大きくなっている。信用の高い単一性のある商品が不可欠である。
その有力な候補がFB(政府短期証券)である。政府の発行する短期の証券であるFBは、信用性や単一性に優れているが、事実上全額日銀が引受け、自由な流通市場が形成されていない。FBの流通市場は81年から形成されているが、流通市場ではいったん日銀から短資会社に売却された後、転売されるという管理市場になっている。日銀が市場の実勢金利より低い金利で引き受けることにより、政府の財政を支えることになっている。残高が30兆円を越え、かつ、持続的に残高があるということからすれば、国債引き受けと類似の問題を生起する。改正日銀法でもFBの引受に関する記述は曖昧なままである。FBの価格決定が市中公募方式になることが、市場の発展には不可欠である。このFBについてはかつてオープン市場が拡大する中で日銀がマネーサプライをコントロールするための公開市場を行う中心の場として期待を集めたが、その後マネーサプライの金融政策上の位置付けが相対的に低下し、FB市場自身も弾力化が遅れ、市場実勢を下回る引受が厳しい財政事情下、財政にもプラスとなっていることから、議論が下火になっていた。総裁会見でFB市場に関して見直しを行っている旨、日
銀が表明しているが、その帰結が注視される。
他の候補としては割引短期国債(TB)がある。この市場は86年に形成され、FBとは異なり、公募入札方式による。しかし、規模が充分ではなく、「プラチナ・ペーパー」と言われるほど入手しにくい。97年度以降債券レポ市場が急拡大しているものの、まだ、制度上、税制など未整備な点も多く、単一性という点も満たしていない。
おわりに
今回の日銀法改正はその独立性、透明性を大きく高め、日銀の名声を高め得るものである。しかし、法解釈、実際の運営において上記のように課題は山積している。今後、法改正の精神を理解した運営がなされ、その名声を高めることが期待される。また今回は受動的な法改正がなされたが、市場の変化、各国の中央銀行の変化などにより、運営面の対応で対応しきれなくなった場合は自ら主導権をとって法改正することも必要であろう。
参考文献
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(*)現日本生命資金証券部 本大会には筆者がニッセイ基礎研究所経済調査部所属時にエントリーしたもので、
当時の研究をまとめ、発表するもので現所属とは一切の関係はない。
(**)上記及び筑波大学大学院経営政策科学研究科博士課程在学中