国際公共財としての安全保障政策

藤 本 茂(京都大学大学院)



1.はじめに
2.問題の所在
3.国際公共財としての国際秩序
 3-1 公共財とは
 3-2 国際公共財とは
4.国連型集団安全保障システム
 4-1 ポスト冷戦期の国連
 4-2 国連型集団安全保障システムによる国際公共財供給
5.おわりに
[参考文献]



1.はじめに

 第二次世界大戦後の国際システムは,東西間の冷戦構造の中で,核兵器体系による「恐怖の均衡」の下世界絶滅の恐怖に脅えながら,米・ソの覇権システムとして運営されてきた。1989年,マルタ島でのブッシュ=ゴルバチョフ会談により東西冷戦の終結が宣言され,世界中で永い冬の時代の終了と暖かな春の到来が期待された。人々は,平和の到来を期待していたのであるが,その期待は,脆くも崩れさることとなった。冷戦後,明らかに紛争の発生件数が増大したのである。冷戦中も,米ソの接点となる途上国で地域紛争が発生していた。これは,"Hot War"と呼ばれ,その代理戦争と見られていた。しかし,この代理戦争が,民族対立等の原因で発生する地域紛争を抑止し,更に「恐怖の均衡」が,最終的に米・ソの直接対決にまでエスカレートすることを防いだのである。特に,ヨーロッパにおいては,幾度となく東西両陣営対決の危機は在ったものの,結局,そうなるには到らなかった。冷戦の終結は,こうした地域紛争が抑止されるシステムが機能しなくなったことを意味している。この意味で,冷戦期間中は,Gaddis(1987)が"Long Peace"と呼んだように,パックス=ルッソ・アメリカーナ(米・ソによる平和)という米・ソ両超大国による秩序が形成されていたと考えることもできる。
 冷戦後の国際システムは,この多発する紛争をコントロールし,新たな安全保障上の国際秩序を形成し得るシステムの構築を模索することとなった。その時,期待されたのは,強力な軍事力を背景にしたアメリカの持つ国際秩序形成能力である。冷戦期間中も,いわゆる西側諸国は,アメリカの覇権システムの下でパックス=アメリカーナ(アメリカによる平和)を謳歌し,経済発展を実現した。 しかし,1970年代よりアメリカは,ヴェトナム戦争の敗戦により政治的影響力を弱めてきた。また,1971年のニクソン・ショックと日本やEU諸国の台頭により,経済的にもその相対的地位を低めている。事実,石油危機後毎年開催されることとなったサミットでは,広範な国際政治経済上の問題が,先進国間の協調を軸に討議されている。このことは,第二次世界大戦後の基本であった,アメリカがルールを作り各国がそれに従うという覇権システムが崩壊し,アメリカ・EU・日本等の少数の大国による多極システムに国際システムが移行している事を示している。 ポスト冷戦期は,ポスト・パックス=アメリカーナの時代でもある。 この時必要となるのは,大国間の協調を導くメカニズムである。
 ポスト冷戦期の国際システムは,多極システムの下,@大国間の協調,A多発する地域紛争のコントロール,という二つの課題に直面している。こうした安全保障上の課題を解決し,平和による新たな国際秩序を形成しうる安全保障システムとして,国際連合(以下,国連)が注目されている。安全保障理事会(以下,安保理)を中心とする国連軍やいわゆる平和維持活動(以下,PKO)等,国連の持つ安全保障機関の国際秩序形成能力への期待である。 本論文は,こうしたポスト冷戦期の国際秩序形成システム構築への模索が,国際公共財供給の観点から捉えられるべきであることを指摘し,この意味で,国連という集団安全保障システムを理解していくことが必要となることを述べて行くこととする。
 なお,本論文の構成は,以下のようになっている。第二節において,戦後の紛争を調べた結果,冷戦後の特徴として,@紛争が増加している,A紛争発生地域に偏りが無い,B国連PKOが制度化されつつある,点を指摘する。これにより,ポスト冷戦期に世界中で発生する紛争のコントロールに,国連が積極的に用いられている事実がわかる。更に,ポスト冷戦期の国際秩序形成のためには,大国の協調も必要となる点を指摘する。第三節では,国際公共財の定義を与える。そこでは,安全保障システムが形成する国際秩序の存在が国際公共財であることが示され,国際公共財供給の方法を考える。この時,ポスト冷戦期に国際秩序という国際公共財の供給が柔軟に行われるためには,地球規模で便益を及ぼす秩序を純粋国際公共財,地域的な秩序の存在を準国際公共財の区別が必要となることを示す。第四節では,戦後の国連の役割の変化を見た後,前節を受けて,大国の協調による秩序形成,すなわち,純粋国際公共財供給システムとして安保理を位置付ける。そして,地域的な秩序形成,すなわち,準国際公共財供給システムとしてPKOを位置付ける。そして,ポスト冷戦期における国際秩序という国際公共財の供 給システムとして,両者を結合した階層的な国連型集団安全保障システムを提案する。第五節は,本論文のまとめである。

2.問題の所在

 1939年より1945年まで,ほぼ6年に渡って戦われた第二次世界大戦の終了後,息付く暇も無く紛争が繰り返され現在に到っている。この間の,1994年までに発生した戦後の主な紛争,国連の関与した紛争やPKOを含めて,その様子を表わしたものが,以下の[図 2-1]である。
 1940年代の半ばより明らかになった米・ソの超大国間の対立は,世界を東西に二分する冷戦に突入して行った。1989年に行われたマルタ島でのブッシュ=ゴルバチョフ会談により,その冷戦の終結が宣言された。冷戦期間中,米・ソ両国の核兵器体系が作り上げた「恐怖の均衡」は,幾度と無く崩れそうとなり,人類は,その度に全面核戦争による世界そのものの崩壊の恐怖に立たされる事となった。冷戦の終結は,そうした恐怖からの開放を意味し,誰もが平和の到来を期待していたはずであった。ところが,[図 2-1]より直ちにわかるように,冷戦後明らかに紛争の発生件数が増加,それも激増したのである。
 もちろん,冷戦期間中も様々な紛争が発生していた。その傾向を見てみると,1945年から1949年,及び1960年から1964年に発生した紛争の多くは,東南アジア諸国とアフリカの諸国の旧宗主国からの独立戦争が占めている。これらは,独立戦争ゆえに,主に独立の達成と国内の秩序回復と共に沈静化の方向に向かい,長期化も見られなかった。これは,戦後の国際システムが,米・ソによる覇権システムという新システムに移行したのを受けたものと理解でき,ある種,異常値と考えられる。また,冷戦期間を通じて伝統的な対立として,西アジア地域での中国とインド,東南アジアにおける中国とヴェトナムがある。また,東西対立の世界的拡大を告げるものとして,1950年に発生した朝鮮戦争があった。これ以外のものは,後述する若干の例外を除いて,大なり小なり米・ソの関与があった紛争である。これれは俗に"Hot War"と呼ばれ,米・ソの接点となる途上国で両者の代理戦争として戦われた。これらの代理戦争は,その背後に米・ソを抱えていたため,その地域における以外の紛争を抑止することになった。また,東西両陣営が対峙していた欧州地域においては,1960年代から冷戦が終結するまで,ついに,両者の直接対決に到ることは無かった。

[図 2-1]
出所:『20世紀の戦争』,『国連とPKO』,Dictionary of Warsより筆者作成

この安全保障上の秩序は,米・ソの対立により生じた「恐怖の均衡」のもたらしたものであり,まさに逆説的な意味での平和,"Long Peace"であった。米・ソ対立の解消に伴う「恐怖の均衡」の消滅は,地域紛争を抑止するメカニズムの喪失でもある。従って,ポスト冷戦期に地域紛争が続発するのは,必然的な帰結であった。
 以下の[図 2-2]は,戦後の紛争および国連の関与した紛争を,地域別にその占める割合を調べたものである。ここにある様に,ポスト冷戦期の紛争の特徴として,その世界的な広がりが挙げられる。過去30年間に渡り,ほとんど紛争の発生しなかった欧州・旧ソ連地域においても冷戦期間中は,そのほとんどが抑止されていた民族的な対立が激化している。旧ユーゴスラビア地域での紛争やバルト三国の分離独立紛争が,これに相当する。
[図 2-2]
出所:『20世紀の戦争』,『国連とPKO』,Dictionary of Warsより筆者作成

 ポスト冷戦期に世界的な規模で続発する地域紛争をコントロールし,新たな国際秩序を得るために期待されたのが,強力な軍事力を背景とした「世界の警察官」としてのアメリカの力(パワー)であった。冷戦終結とともにソ連が崩壊したのを受けて,国際システムは,アメリカの覇権システムに移行するものと考えられていたのである。ところが,1960年代後半から1970年代前半にかけて戦われたヴェトナム戦争での敗戦とEU諸国や日本の経済大国化が,アメリカの政治的・経済的な地位を低下させていたのである。 1970年代後半からアメリカは,そしてソ連も覇権国の地位を降りつつあったのである。両国の経済力は,長年の軍拡競争の結果疲弊し,この時期からその勢力圏を事実上狭めつつあった。これによって,以前は両国の接点であった地域に空白ができ,そこでは,地域的覇権を巡る争いが顕然化していた。この代表的な例が,1980年から1988年にかけて発生したイラン・イラク戦争である。更に,石油危機以後に毎年開催されることとなったサミットにおいても,広範な国際政治経済上の問題が,協調を軸に先進国間で討議されている。これらは,戦後の基本であったアメリカが国際システム運営のルールを作り,各国がそれに従うという覇権システムの崩壊を示すものである。すなわち,ポスト冷戦期は,ポスト・パックス=アメリカーナの時代でもある。
 現行の国際システムは,このパックス=アメリカーナに変わる安全保障上の国際秩序形成システムの構築を,少数の大国による多極システム下で模索しているのである。そして,この多極システムが安定的に運営されるためには,国際秩序の存在価値に対する共通認識の下,その形成のためにすべての国が犠牲を払い,それに貢献せねばならない。ここで必要となるのが,各国の貢献を調整する協調の枠組みである。中でも,山本(1995)が指摘するように,ポスト冷戦期の多極システムの安定に欠かせないのが,大国間協調の枠組みである。大国間で生じる紛争は,それ自身が国際システムの崩壊に直結するためである。そして,大国を含めた各国の協調を実現する,具体的なものとして注目されるのが,国連という集団安全保障システムである。以下の,[図 2-3]は,戦後の国連PKOと国連の関与した紛争に関してまとめたものである。

[図 2-3]
出所:『20世紀の戦争』,『国連とPKO』より筆者作成

 [図 2-3]は,ポスト冷戦期の新たな国際秩序形成のために,国連が積極的に活用されていることを示している。興味深い点として,先ず,1991年の湾岸戦争時に果たした安保理の役割が挙げられる。この時組織された国連授権(UN authorized)の多国籍軍をめぐる,安保理の常任理事国に日・独を加えた大国間の協調行動と湾岸戦争の速やかな終結が,国連の復活を予感させることとなった。次に,この湾岸戦争における多国籍軍による成功とGhali報告(1992)を受けた,国連PKOの制度化が挙げられる。旧ユーゴスラビア地域に派遣されたUNPROFOR(国連保護軍)やモザンピークに派遣されたONUMOZ(国連モザンピーク活動)等,PKOは,地域紛争に対応しその秩序回復の支援に積極的に組織・活用されるようになった。こうした国連の活動が,上手く紛争をコントロールしているとは言い難い。しかし,各国は,ポスト冷戦期の国際秩序形成のシステムを模索する過程で,本来の姿である集団安全保障システムとしての国連の機能に注目した。多極システムにおける,このような模索は,それこそが,協調による国際秩序の形成過程となる。
 以降では,国際秩序の存在が国際公共財である事を示す。この時,上述の国際秩序形成システムとしての国連は,国際公共財供給システムととらえることができる。そして,これを受けて国連のどの機関が,ポスト冷戦期の国際秩序形成のための課題である@大国の協調,A地域紛争のコントロールを受け持つことになるのかを示していくこととする。

3.国際公共財としての国際秩序

3-1 公共財とは
 国際公共財(international public goods)の議論は,従来,Russett(1968),Snidal(1979),Gilpin(1987)や山本(1989)等,国際政治学の分野で多くがなされてきた。そこで議論されている国際公共財は,「国内」公共財('domestic' public goods)の定義のアナロジーとして用いられている。そこで,先ず,「国内」公共財の特徴に基づく定義とそれによる分類を見ることとする。
 国内における公共財の第一の特徴に基づく定義は,Musgrave(1959)による「消費における非競合性と排除不可能性をあわせ持つ財・サービス」というものである。消費における非競合性は,「ある主体の当該財・サービスへの消費の増加が,他の主体の消費を妨げないこと」である。また,排除不可能性は,「ある主体の当該財・サービスへの消費を排除することが,技術的,物理的に不可能であること」と説明される。具体的には,灯台や街灯,国防や消防等の財・サービスが考えられる。今,国防を例にとって説明する。他国の侵略に抗するために国防サービスが供給されたとする,この時,他国の侵略を退けることにより得られる便益は,その国のある特定の主体だけが享受できるといった性質のものでなく,国民全員が等しく同様に享受できるという意味で非競合性を満たすものである。また,その便益を享受する際,それに見合った費用負担を行わなかったという理由で,ある特定の主体だけを排除することは不可能である。この意味で,国防は,消費における「非競合性」と「排除不可能性」を同時に満たし,公共財といえる。
 消費における「非競合性」及び「排除不可能性」といった,二つの性質を同時に満たすような財・サービスは限られている。が,近似的にこれらの性質を満たすものも公共財と考えることができる。この時,先の二つの性質を共に満たす公共財を「純粋公共財」(pure public goods),近似的にそれらを満たすものを「準公共財」(impure public goods)と呼び,区別する。これをまとめると,以下の[表3-1]となる。


[表3-1]

消費における競合性は存在する-一時に消費が集中すれば混雑現象が発生する-が,排除不可能性を満たす「準公共財(A)」の例としては,一般道路や橋等が考えられる。一方,消費において競合はしないが,排除可能-対価を支払わない主体に消費させない事が技術的に可能-な「準公共財(B)」の例としては,ケーブルテレビや有料衛星放送等が考えられる。
 さて,以上の分類をより簡潔に行うため井堀(1997)は,以下の公共財に関する第二の特徴に基づく定義を与えている。すなわち,公共財とは,「ある主体の支出が特定の主体だけでなく,他の主体にも便益を及ぼすような財・サービス」,あるいは,より端的に,「消費における外部性の存在する財・サービス」という定義である。この時,私的財(private goods)・準公共財・純粋公共財の区別は,その外部性のスペクトラム:εに応じて,次の[表 3-2]の様に分類できる。


[表 3-2]

 この定義による具体例として街灯を想定し,井堀(1997)に従い説明すると次のようになる。今,経済に複数の個人が存在し,街灯はいずれかの個人の家の前に設置されているとする。設置された家の前での明るさを1とすると,この時問題となるのは,街灯が他人の家に及ぼす明るさである。この明るさの程度をεで表現すると,ε=0,すなわち,他人の家に何ら明るさという便益を及ぼさない場合には,この経済において街灯は「私的財」である。逆にε=1,すなわち,いずれの家にも同じ明るさを及ぼす場合は,街灯は「純粋公共財」である。更に,0<ε<1,すなわち,他人の家に多少の明るさは及ぼすけれども自らが享受する明るさほどでは無い場合,街灯は「準公共財」となる。
 さて,公共財に関する第三の特徴は,その「便益の及ぶ範囲」の存在である。この時,公共財は,「ある特定の地域において消費における外部性の存在する財・サービス」と定義できる。今,上の分類で用いたεを,「一国全体の視点から見た外部性の程度」とすることにより,公共財の更なる分類を行うこととする。この時,先の[表 3-2]における「純粋公共財」は,国内全体に便益の及ぶ財・サービスであり,「準公共財」は,ある特定の地域にその便益が限定される財・サービスとなる。さて,ある特定の地域に便益の限られるこの「準公共財」は,更にTiebout(1956)による「地方公共財」(local public goods)とBuchanan(1965)による「クラブ財」(club goods)に分類される。前者,「地方公共財」は,その便益の及ぶ範囲が居住者全員に渡るもの,すなわち,特定地域内で「純粋公共財」といえるものである。一方,「クラブ財」は,その便益の及ぶ範囲を更に特定化し得るもの,すなわち,特定地域内で「準公共財」となるものである。
ここで,εを一国全体の視点からみた外部性の程度,δをある特定地域でのそれとした場合,公共財は[表 3-3]の様に分類できる。なお,εとδ各々について,1の場合は,選択された地域全体に便益が及ぶケースであり,0の場合は,それを消費する主体にのみ便益が及ぶケース,そして0と1の間にある場合は,便益の享受が特定化されるケースとなる。


[表 3-3]

「地方公共財」の例としては,上・下水道のサービスが挙げられる。上・下水道の整備によって得られる簡便さ,公衆衛生の向上等の様々な便益は,その地域に居住する主体にあまねく享受されるためである。一方,「クラブ財」の例としては,駐車場が挙げられる。駐車場の便益は,その地域に居住する主体にのみに享受されるものであり,かつ,その使用料を支払ったものだけに限られるためである。
 さて,以上の様に定義・分類される公共財であるが,ここで問題となるのは,その供給方法である。私的財のケースでは,(完全競争)市場メカニズムによりパレート最適な資源配分が実現する。しかし,定義上,外部性の存在する公共財のケースでは,よく知られているように「市場の失敗」が発生するため市場メカニズムによる供給は困難なものとなる。このため,通常,その供給は,国家・地方政府等の統一的な権力機構(authority)に頼ることとなる。もっとも,民間による自発的な供給/寄付(voluntary provision/contribution)による方法でも実行され得るため,公共財の供給方法には,国家・地方政府というautorityによるか,民間のvolunteerによるかの二種類が存在することとなる。

 3-2 国際公共財とは
 国際公共財の概念は,Olson(1965),Olson=Zeckhauser(1966)の議論により導入された。以降は,先述の通り,主に国際政治学の分野で議論が行われてきたが,経済学からもKindleberger (1986,1988),Ihori(1992-a,b,1994-a,b,1995,1997),吉田(1989,1992,1996),石(1990),井堀(1991,1993,1997)等でなされてきている。ここでの国際公共財の概念は,若干の例外を除き,「国内」公共財,特に[表 3-2]における「純粋公共財」とのアナロジーとして議論されているのが特徴であり,この対応関係を示したものが[表 3-4]である。


[表 3-4]

その代表的な定義は,Kindleberger(1986)による「複数の国が同時に消費できる財・サービスで,ある国の支出が国際的な関係の中で世界各国に便益を及ぼす」というもので,一国の決定の外部性が強調されている。具体的には,冷戦期間中のNATO加盟国の軍事費が挙げられる。ある加盟国の軍事費の増加による自国軍事力の整備は,NATO加盟国全体の軍事力強化を意味し,全体にとってプラスとなる。すなわち,ある加盟国の軍事費の増加に伴う軍事力の強化は,外部性として他のすべての加盟国に便益を提供し,この意味で国際公共財となる。
 国際公共財の具体例を考える時,吉田(1989,1992,1996)は,Buchanan(1975)の指摘する「公共財としての制度」の概念を適用し,より抽象的な国際秩序の存在にも国際公共財の概念が適用できることを示した。これを吉田(1996)に従い示すと,次のようになる。Buchananは,民主主義という政治制度や決済・通貨制度という経済制度は,それ自身が純粋公共財であることを指摘し,さらにこれらの制度がもたらす秩序も純粋公共財であるとした。ある秩序の存在により生じる便益は,何人も全く同程度に享受することができるからである。そして,Buchananは,国民の意思決定を立憲的判断と政策判断に分けた。前者は,基本的な社会的枠組みに関するもので,Wicksell(1886)的な条件付全員一致ルールで決定されるものであり,後者は,その制度を前提とした政府の具体的な判断で,多数決原理で決められるとした。すなわち,民主主義政治を行うかどうかなどの制度的枠組みを全員一致の合意によって決定し,その制度の下,各政策判断は支持の多数を争うことにより決めていくこととなる。
 これとのアナロジーで考えるならば,多数の国家を構成員とする国際システムが,紛争のコントロールにより平和を実現し安定的に運営されるためには,例えば,国連憲章の受諾を通じ立憲的判断としての国連という集団安全保障システムの存在が必要となる。そして,そこでの安保理の決定による国連軍の結成やPKOの具体的決定を通じて形成される安全保障上の国際秩序は,国際システムに安定をもたらす基本的な国際公共財となる。
 以上で,国際秩序の存在が国際公共財である事がわかったが,この時問題となるのは,その供給方法である。国内における公共財と異なり,世界政府といった統一的な権力機構を持たない国際システムにおいてその供給方法を考えることは,極めて重要な問題となる。
 その一つの方法が,覇権国の一方的な費用負担による供給である。冷戦期間中の東西各陣営における米・ソの積極的な費用負担が,これにあたる。覇権国は,自国の安全保障上の利益の追求という明確なインセンティブが存在するために国際公共財供給の費用を一方的に負担し,他国のフリーライドを推奨する。 この時,覇権国は,私的財でなければ供給しようとした訳であり,[表 3-4]の様に国際公共財を純粋公共財と準公共財に区別する必要が無かった。
 もう一つの方法は,各国の自発的な費用分担による供給である。すなわち,その国家間に共通の価値観が存在し,外交というコミュニケーションを通じて,各国が自発的にその供給費用を分担して行く方法である。この時,同時に各国の費用分担を調節する協調の枠組みが必要となる。
 前節迄で示したように多極システムとなった現行の国際システムにおいて,国際秩序という国際公共財は,この方法によって供給されることとなる。山本(1995)は,ポスト冷戦期の多極システムをめぐる環境における肯定的な面として,各国間,特に大国間において市場経済,民主主義,そして世界的な平和の存在に関する緩やかな価値観の共有が認められる,としている。事実,1991年のロンドン・サミットでの政治宣言は,紛争をコントロールし世界的な平和を実現する事により得られる国際秩序の存在の重要性が,先進国間で共通認識となっていることを確認するものであった。こうした共通の価値認識の下,各国は,国際公共財供給システムとして国連という集団安全保障システムの積極的活用を指向している。
 しかし,現実は,その費用負担に関して各国は必ずしも積極的ではなかった。各国の費用分担に関する足並みがそろわない原因の一つとしては,要求される紛争解決のもたらす秩序から得られる便益が,各国により大きく異なる点が考えられる。例えば,旧ユーゴスラビアの紛争解決のための費用負担を考えてみる。今,仮に,その解決のための費用負担に関して,イタリアと日本が意志決定に直面したとする。紛争解決の結果得られる秩序から得られる便益は,イタリアは大きく享受できようが,日本はイタリアほどには享受できないと考えられる。従って,イタリアには,その費用を負担するインセンティブが存在するが,日本にはそれ程明確に存在する訳ではない。すなわち,旧ユーゴスラビア地域の安定がもたらす秩序という国際公共財は,イタリアにとっては純粋公共財であり,日本にとっては準公共財なのである。この時,日本がその経済力に鑑み,準公共財といえども負担を行うべきとの考え方もある。しかし,Ihori(1992-a)は,国際公共財が準公共財である時,三国モデルを用いて,ある国の国際公共財供給の費用分担が他国からの所得移転によって賄われる場合,トランスファー・パラドックスが 生じることを示した。すなわち,ある国の準公共財としての国際公共財供給の費用が,他国からの所得移転で賄われた場合,移転を受けた国の経済厚生の水準が下がり,移転した国のそれが上昇する。そして,極端なケースでは,世界全体の経済厚生の水準が下がってしまう事を示した。このことも,各国の費用負担に関する足並みがそろわないことの原因の一つである。
 国際公共財供給の費用分担を多極システムの下,各国の自発性に頼る場合,その貢献を調整する協調の枠組みが必要となる点は,先程指摘した。そして,この協調が実現するためには,国際秩序という国際公共財の分類が不可欠となる。コントロールする紛争の種類によっては,そこで得られた秩序のもたらす便益を享受する際に,地域間でその程度が異なる可能性があるからである。これを無視し,例えば,経済力に見合った形で費用分担を要求したとしても,各国間にそのインセンティブにばらつきがあるため協調が実りあるものとなることは考えにくい。そこで,[表 3-3]に基づいた国際公共財の分類を行う必要があり,これが以下の[表 3-5]である。εは,地球規模(global region)で見た場合に安全保障上の国際秩序の存在がもたらす便益の程度を示している。そして,δは,ある特定地域(local region)に秩序が存在する際の,その便益の程度を示すものである。各々が1のケースは,選択された範囲全体で各国が,等しく便益を享受するケースであり,0の場合は,特定の国にのみで便益が享受されるケース,そして0と1の間にある場合は,便益の程度が各国間で異なるケースとなる。


[表 3-5]

 ここで,「純粋国際公共財」(pure international public goods)とは,国際秩序のうち,世界全体をどのような地域に区切って考えたとしても,各国が等しくその便益を享受できるようなレベルでの秩序である。例えば,現下の多極システムでの,大国間でもめごとを起こさないという意味での協調が生み出す秩序や,冷戦期の米・ソによる「恐怖の均衡」がもたらした秩序がこれにあたる。
次に,「準国際公共財」(impure international public goods)とは,国際秩序のうち,世界全体をある地域に区切っていった場合,特定の地域内ではすべての国が等しくその便益を享受できるが,他の地域には,当該地域内の国ほどには便益が及ばないというレベルでの秩序であり,「地方公共財」のアナロジーとして用いられる。例えば,旧ユーゴスラビア地域やカンボジア・ラオス地域等の安定がもたらす秩序が考えられる。また,「国際的なクラブ財」(international club goods)とは,ある特定地域の国際秩序の存在が及ぼす便益を享受する際に,排除原則の適用が可能なもの。すなわち,その地域の秩序による便益を,ある特定のグループのメンバー国にしか享受できないというものである。例えば,冷戦期間中のNATO加盟国内での秩序やWTO諸国内での秩序がこれにあたると考えられる。
 多極システムにおいて,国際秩序という国際公共財を供給するためには,各国がその供給費用を分担していかねばならない。これは,冷戦期の覇権システムにおいて米・ソが一方的に費用負担を行ったのと異なり,全ての国に自発的な費用分担という犠牲を要求するものである。各国が,この犠牲を払うか否かにポスト冷戦期の国際システムの安定性がかかっている。この問題を考える時,[表 3-5]で分類したように国際公共財としての国際秩序には,二種類あるという点の認識が大切である。すなわち,国際公共財には,「純粋国際公共財」という大国の協調により得られる国際秩序,「準国際公共財」という特定地域における国際秩序,という二つのレベルが存在するという点である。これにより,従来一元的に認識し対処されてきた安全保障上の問題が,二分化,階層化され,コントロールが容易になる。
 次節において,このような二種類の国際公共財供給システムとしての国連の在り方を考察し,階層的な構造を持つ国連型集団安全保障システムを構築する。

4.国連型集団安全保障システム

4-1 ポスト冷戦期の国連
 香西(1991)や吉田(1996)で示されている通り,本来国連は,国連憲章第一章,第二章や第八章で書かれているように,安保理を中心として国連軍といった軍事機構をもつ安全保障形成のためのシステムとして構想されたものである。これは,第二次世界大戦後の国際秩序形成をロカルノ方式に倣い,アメリカ・ソ連・イギリス・フランス・中国という戦勝大国の同盟と協調関係の継続と,それに基づく集団安全保障システムにより達成しようというものであった。しかしながら,冷戦期間中の米・ソ対立が,システム稼動のための大前提条件である戦勝大国間の協調を崩壊させ,機能不全となってしまった。そして,同時に,国連による集団安全保障の機能不全が,米・ソによる覇権システムの形成を促進して行った。
 この時期の国連は,PKOにその活路を見出していった。当時のハマーショルド事務総長は,米・ソにとっても,また,紛争当事国の合意を得ているという点で当事者にとっても中立的な立場から,平和の維持と停戦等の合意内容の実行を図る活動としてのPKOを提起した。これは,山本(1995)の言う「二重の中立性」を保ったPKOであり,スエズに展開したUNEF-T(第一次国連緊急軍)やコンゴに展開したONUC(コンゴ国連軍)がこれにあたる。冷戦期間中のPKOは,「二重の中立性」,中でも米・ソにとって中立である,という点が極めて大切であった。地域的な紛争に両国が巻き込まれることにより,世界的な規模での紛争に発展することを予防するためである。また,PKOは安保理の合意に基づいて形成されるために,この点は,両国の合意を得る上でも不可欠であった。
 ところが,冷戦の終結を受けて,それまでと様相が一変する。きっかけは,1991年の湾岸戦争である。湾岸戦争時,安保理は,イラクのクウェート侵略に対するために対イラク武力行使容認決議を採択し,湾岸戦争において多国籍軍を形成し,イラクのクウェート撤退を実現させた。パックス=アメリカーナの時代にアメリカが一国で行った国際秩序形成のための費用分担を行っていたことに比較し,紛争当事国はもちろん,紛争非当事国の大国も多くの費用を分担し,国連,中でも安保理が国際秩序形成に関して,各国,特に大国間の協調を生み出しうるシステムであることを示した。国連が実現したこの協調こそが,本来想定されていた機能であった。まさに,国連の復活を予感させるものであった。
 この成功を受けて当時のガリ事務総長は,いわゆる「ガリ報告」と呼ばれる,ポスト冷戦期における国連の平和機能のあり方に関する提言を行った。Ghali(1992)は,国連の平和機能を@予防外交,A平和創設,B平和維持活動,C紛争後の平和建設,の四種類に分類した。 そこで行われた提言の内で注目すべきは,PKOの効果を高めるために予防展開軍や平和強制部隊といった重武装の軍隊をケースに応じて投入することを提案している点である。すなわち,ポスト冷戦期に続発する地域紛争を柔軟にコントロールするために,あらゆる手段で挑んでいこうというものである。ポスト冷戦期に,この目的で展開されたPKOとしては,ソマリアに派遣されたUNOSOM(国連ソマリア活動)やナミビアに派遣されたUNPREDEP(国連予防展開隊),更にボスニア・ヘルツェゴビナに派遣されたUNMIBH(国連ボスニア・ヘルツェゴビナ・ミッション)等がある。

4-2 国連型集団安全保障システムによる国際公共財供給
 ポスト冷戦期に解決すべき課題は,地域紛争をコントロールし国際秩序を形成し得るシステムの構築であった。前節で述べたように,国際秩序の存在は国際公共財であるため,これを他面から見ると国際公共財供給システムの構築である。一方,ポスト冷戦期の国際システムは,複数の大国による多極システムであった。多極システムが安定であるための前提条件は,大国間の協調−大国間でもめごとを起こさない−である。この大国間の協調を軸に,ポスト冷戦期の国際秩序という国際公共財供給の費用は,各国で分担されねばならない。すなわち,この時の国際秩序は,その便益の及ぶ範囲が地球全体に及ぶ大国間の協調がもたらす秩序と,その範囲がある地域に限られる地域的紛争解決による秩序,の二種類が存在することになる。先に見た,安保理とPKOの役割をこの観点から見ることとする。
 安保理は,国連憲章第五章・第二十四条で定められているように,国連の中で国際社会の平和と安全について主要な責任を有し,多大な権限が与えられている機関である。また,憲章第七章・第四十三条にあるように国連加盟国は,安保理に決議を支持し,その要請に従わねばならない。すなわち,安保理とは,現在から将来に渡って起こるであろう国際社会における安全保障上の諸問題を解決するための意志決定システムなのである。しかしながら,前述のように,冷戦期間中は,P5と呼ばれるアメリカ・イギリス・フランス・ソ連・中国の常任理事国による拒否権行使により有効にその機能を果たしてこなかった。ところが,冷戦終結後は,1990年5月までにP5が行使した拒否権が232回であったのに対し,以降はわずか4回となっている。安保理が,国際システムにおいて,安全保障に関する意志決定システムとして機能する可能性を高めている。更に,安保理による意志決定が行われる時,実質上,現行の国際システムの極となっている国が,そのメンバーとして参加している点を指摘する。すなわち,最近のアメリカ・イギリス・フランスによる発議の際は,その費用分担の問題もあるため,日本とドイツを交え事前 に協議が行われている点である。このことは,安保理が実際上,大国の協調を導くシステムとして機能していることを意味する。そこでは,冷戦後の国際システムが直面する安全保障上のあらゆる問題が協議され,地域紛争が大国間の不協和を引き起こさないような努力が行われている。この意味で,安保理は,大国の協調による国際秩序という世界全体にその便益が及ぶ純粋国際公共財供給システムと理解できる。
 [図 2-3]で見たように,冷戦後,地域紛争をコントロールし国際秩序を得るために,多くのPKOが試行錯誤を重ねながら展開されている。冷戦後のPKOの特徴は,先に示した様に,あらゆる手段で紛争解決にあたるということと,当該地域の国の参加が増加したことである。PKOの参加国は,安保理による派遣決定後に事務総長がこれを受けて参加国を募る。そして,各国が,これに応じる形で決定する,という様に各国の自発性基づくものである。従って,この事実は,地域的な秩序の存在がもたらす便益に関する関心の高まりを示すものである。1948年から1989年までに展開された18回のPKOには,延べ290カ国が参加した。その内,当該地域からの参加国は,わずかに20カ国で約7%を占めるに過ぎない。一方,冷戦後1990年から1994年に展開された15回のPKOに参加したのは延べ334ヶ国に及び,内95カ国が当該地域からの参加で28%を占めるに至っている。PKOの展開は,地域的な秩序形成システム構築の必要性に応える形で増加して行ったのである。前節で述べたように,地域的な秩序の存在は準国際公共財であるために,これは,準国際公共財供給システム構築の過程と理解できる。
 以上のように,ポスト冷戦期の国際公共財供給システムとしての国連は,純粋国際公共財供給システムとしての安保理と,純粋国際公共財供給システムとしてのPKOという,二つのシステムによって構成されている。両システムの直面する問題は,基本的に異なる次元のものである。PKOは,正に「今そこにある」紛争のみの解決を目的とするものであり,安保理は,国際システムの安定そのものをかけて,大国間の協調に関わる問題を主に,安全保障上の問題解決を目的とするものである。安保理は,PKOの上位に位置するシステムなのである。すなわち,純粋国際公共財供給システム(安保理)が,メタ・システムとして頂点にあり,その下に,準国際公共財供給システム(種々のPKO)がサブ・システムとして並列して存在するという階層型のシステムになっている。この階層システムを,国連型集団安全保障システムと呼ぶこととする。
 この国連型集団安全保障システムによる紛争解決のイメージは,例えば,以下のようになる。まず,特定地域の情勢-紛争の勃発前であっても勃発後であってもかまわない-に関して,安保理が当該地域の秩序のもたらす便益を及ぶ範囲を考慮に入れ,それが準国際公共財であると判断された場合,PKOを派遣する。この時,準国際公共財の他地域への波及効果が大きいと判断された場合は,事前に上位機関である安保理が介入-適切な補助を与える-を行う。というようなものである。

5.おわりに
 以上は,ポスト冷戦期に国際秩序という国際公共財供給の費用分担を,多極システム下で国連によって行う際,その方法についての提案を行うものであった。それは,国際秩序の存在が,世界的な規模でその便益が及ぶ純粋国際公共財とある地域内に限られるが,その地域の国は等しくその便益を享受できる準国際公共財に分類されることによるものである。ポスト冷戦期の秩序としては,純粋国際公共財としての大国の協調が生み出す秩序と,準国際公共財としての現実にPKOが派遣されているような地域における秩序が挙げられる。これをふまえ,純粋国際公共財供給システムとして安保理を,準国際公共財供給システムとしてPKOを位置付けた。最後に,両者による階層システムとしての国連型集団安全保障システムの提案を行った。これは,安保理をメタ・システム,PKOをサブ・システムとする二段階の階層システムとなる。
 本論文では,この国連型集団安全保障システムの具体的メカニズムの解明は行わなかった。解明すべきメカニズムは,@純粋国際公共財供給システムとしての安保理,A準国際公共財供給システムとしてのPKO,B階層型システムとした時の,両システムの役割分担に関するもの,である。この内,@に関しては,吉田・藤本(1997)で解明したが,A,Bに関しては,今後の課題である。


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